永観堂(禅林寺)地図

 
 禅林寺は、平安時代初期に弘法大師の弟子の真紹僧都(しんじょうそうず)によって創建さ
れた。

 このお寺の歴史は、大きく3つの時代に分けられるという。最初の真紹僧都(797~873)か
ら永観律師(1033~1111)が住職になるまでの約220年間は真言宗の寺院として、永観律師

から静遍僧都(1166~1224)までの約140年間は真言宗と三論宗系の浄土教寺院。その後

は浄土宗の寺院として現在に至っている。(浄土宗西山禅林寺派の本山)

 禅林寺を永観堂と呼ばれるようになったのは、永観律師の功績といわれている。永観は
人一倍阿弥陀如来への信仰篤く、日々念仏に励むと同時に寺の広大な寺域内に薬王院(
今の病院のようなもの)を設け、窮乏の人々の救済活動を行ったと伝えられている。

浄土宗西山派総本山
 本堂の阿弥陀如来(重文)は、肩ごしに後ろを振り返る珍しい姿で、みかえり阿弥陀と
いわれる。高さ77.6cm。平安後期~鎌倉初期の作とされている。
 僧侶の永観(1033~1111)が修行に励んでいた。
ただ一人念仏を唱えながらお堂の中を歩くその時、阿弥陀仏が現れ、永観の目の前に
そして突如、振り返って言った。「永観、遅し」 
 拝観の手引き⇒⇒⇒
 紅葉の名所で知られる。 境内の3千本のモミジがある。
   
   
 多宝塔  多宝塔近くから眼下にひろがる京都市街
 上部は円形、下部は方 形の二重塔。五重塔 のように、屋根の上に 伸びる心柱に九輪と水

煙が付いているのは珍しい。ここから京都の町並みが一望できる。 

   
   
  放生池  写真1枚はT.O氏ご提供  夢庵
   
 御影堂  釈迦堂
   
 上記写真2枚はT.O氏ご提供
 【釈迦堂】

万丈。室町時代の建立とされ、本格的な書院造りとして知られる.6間からなり、それ

ぞれが「松鳥図」や「群仙圆などの華やかな襖絵で飾られる。

   
 阿弥陀堂  画仙堂
【阿弥陀堂】

 ご本尊「みかえり阿弥陀」がまつられる本堂。慶長12年に大阪から移築された。堂

内は極彩色で、格天井には「百花」が描かれているが、両端の長方形の部分だけは、

白く塗った「散り蓮華」となっている。
みかえり阿弥陀⇒

 

唐門

天皇の使いが出入りするときに使われた勅使門。

釈迦堂との間に盛り砂が つくられている。勅使はこ

の盛り砂を踏んで身を清 めてから、中に進んだ。

【火除けの阿弥陀】

瑞紫殿の本尊。禅林寺開山の真紹僧

都は5体の佛像を安置したが、応仁の乱

で他の4体は燃えてしまった。この像だけ

が奇跡的に残ったため、「火除けの阿弥

陀」として尊ばれた。


【臥龍廊】

山の斜面にそって巧みに木を組み合わ

せてつくられた廊下。起伏が激しく、龍の

体の中を歩いているような不思議な気分

が味わえる。


【三鈷の松】

葉先が3つに分かれている珍しい松

の古木。「三鈷」は、「智慧」「慈悲」「ま

ごころ」を表す。この松の葉を持って

いると、3つの福が授かるといわれる。


【悲田梅(ひでんばい)】

永観律師は、境内の梅の木に実

がなるのを待ちかねて、貧しい病

人に施したといわれる。その梅の

木は、いつしか「悲田梅」と呼ば

れるようになり、今も永観堂の境

内でかわいらしい実をつける。 

 
   
      動画           永観堂の紅葉(後編)⇒⇒⇒ 
永観堂の紅葉(前編)⇒⇒⇒ 
永観堂 放生池⇒⇒⇒ 
永観堂 多宝塔⇒⇒⇒ 
永観堂(2017-11-23)⇒⇒⇒ 
永観堂と南禅寺の紅葉⇒⇒⇒
全動画⇒⇒⇒