旧上田家(丸田家住宅・屋号「壷八」・重要文化財)

吉村家(旧上田家住宅)から旧上田家に名称変更された

 主屋は北側に狭い入口を取り、東側は「通りにわ」、
西側に六間取りの部屋を取る。
にわ側は北より「みせのま」「なかのま」「だいどころ」
奥列は北より「みせおく」「なんど」南に一間張出した「ざしき」を設けている。
縦の道を行くと辰巳口門跡(南)に至り、
入口の通り(北)は北尊房通りとなっている。

間取り⇒⇒⇒
通常は入口の出入りとなるが、年に一度のお祭りには(5月20日)、
このように「通りにわ」の戸が上にあげられ公開される。
「みせのま」この奥が「みせおく」となっている。 「なかのま」この奥が「なんど」となっている。
入口付近から「みせのま」「なかのま」「だいどころ」 「にわ」の南から「なかのま」「みせのま」入口
かまど 作業場

内蔵前にある「隠居部屋(蔵前座敷)」 内蔵
二階建て、外部大壁・内部拭板張りとなっている。
「隠居部屋」内蔵の扉が見える。 「隠居部屋」から内蔵正面
 二階は「にわ〜部屋境」で仕切り、東側は物置、西側は部屋としているが、一般商家で二階に部屋ができた比較的早い時期のものと思われる。
南側から外から見た二階。
むしこ窓
正面玄関 「みせのま」外から 「みせおく」外から
北尊坊通り北西方面から
 旧は上田家で、屋号を「壷八」といい、明治頃までは、肥料・精米・絞油業の商いを行い相当繁盛していたが、昭和五十五年移転に伴い吉村家の所有となり、平成三年に修理が完了した。
 当家は今井の旧環濠内の北西部にある。
 北側道路に面した主屋は、文化二年(1805)に低い二階建に再建されたものである。  
 内部は東側に通り土間をとり、西側居室部は二列六間取りであるが、嘉永年間「ざしき」を「つのや」として十畳間に改められている。
 主屋の後方には、内蔵・隠居部屋・倉庫・作業場等多くの建物が細長い敷地に巧みに配置されている。
 これらの建物は、発見墨書から主屋より約五十年程遡るものとみられる。
 当家は、今井町における一般商家の屋敷構えを知るうえでも貴重である。
 また、主屋土間北側に多くの「胞衣壷(えなつぼ)」が発見された事も珍しい事である。