法輪寺は三井寺とも呼ばれ、 中宮寺旧地の北方に法起寺と東西に分かれて位置している。 創建は飛鳥時代、推古天皇30年(622)聖徳太子の皇子山背大兄王が 太子の病気平癒を願って建立されたと伝えられるが、 創建事情については不明なことが多いとされる。 伽藍は法隆寺式伽藍配置で、東に金堂、西に三重塔、 その中央に講堂(現収蔵庫)が建ち、 規模は法隆寺西伽藍の3分の2であることが明らかにになっている。 飛鳥様式の薬師如来坐像と虚空蔵菩薩立像を伝えることなどから、 7世紀中には寺観が整っていたと考えられ、 また平安時代の仏像を数多く伝えることから、 平安時代には寺勢は盛んでであったようである。 江戸時代になって、正保2年(1645)に大風のため金堂・ 講堂をはじめとする堂舎が倒れ、塔も大きな損失を被った。 享保元年から21年(1716から1736)に再興に着手された。 元文4年(1739)には三重塔の心礎から仏舎利が発見されたが、 本尊は薬師如来像(重文)。 十一の仏の顔を冠のように配した十一面観音像(重文)は、光背の一部分が窓の ようにくり抜かれ、普通見えない真後ろの顔も見えるように工夫されている。 昭和19(1944)年に落雷のため焼失した三重塔は、作家·幸山文氏らの力により 宮大工棟梁、西岡常一氏が「ヒノキが泣く。ヒノキには鉄よりも長い命がある」 と主張した話は有名。 |
聖徳太子の病気平癒を願った子・山背大兄王によって建立されたと伝え られる法輪寺。聖徳太子が飛鳥の里から三つの井戸を移したとのいわ れから三井(みい)と名がつく地名にちなんで三井寺とも呼ばれる。 |
薬師如来坐像(重文) 伝虚空蔵菩薩立像(重文) 十一面観音菩薩立像(重文) 吉祥天立像(重文) 聖観音菩薩立像(重文) 地蔵菩薩立像(重文) |
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斑鳩神社(天満宮) 斑鳩神社は、旧法隆寺村の守り神として、丘の麓にありましたが、元享4年(1324)に現在のところに遷したといわれ ています。地元では「天満さん」の名で親しまれています。 菅原道貨公 (845~903)をまつる神社で、天慶年中(938以降)に、法隆寺第9代管主湛照僧都(938~946)により建立 されました。 また、湛照僧都管主は、菅原氏の後商であることも関係し、ここに建立したと伝えられています。 境内には、本殿、一殿、二殿と惣社、五所社、白山社、大将軍社、厳島社、恵比須社の六社がまつられています。 10月中旬には、家内安全と五穀豊穣を願って、五台のふとん太鼓が練り繰りひろがられます。 主な祭礼行事 12月31日除夜祭 元旦 歳日祭/1月2・3日 元始祭/1 月15日 恵比寿祭・大とんど/ 10月中旬 秋祭り |