第100代 後小松天皇(ごこまつ)地図
父 母 … 通陽門院藤原厳子(三条公忠の娘) 誕生 …1377年(永和3年・天授3年)6.27 御名・異称 … 幹仁・素行智 女院 …日野資子 立太子 … ――― 即位 …1382年(永徳2年・弘和2年)4.11 在位年数 …30年 崩御 …1433年(永享5年)10.20(年齢57才) 皇居 … 平安宮 年号 … 永徳、至徳、嘉慶、康応、明徳、応永 ○ 北朝第6代の天皇として即位、南北朝合体による最初の天皇となり、歴代100代の天皇となった。約半世紀にわたる南北朝の対立に終止符を打った。 ○ 即位10年にして南北朝の合一がなり、すでに足利義満の権力は確立していたため、義満による半ば専制的な政治が進められた。義満は平清盛以来の太政大臣に昇進した。朝廷も義満のなすがままであった。 ○ 1402年(応永9年)には明の使いが来日したが、「日本国王」とされたのは義満であった。朝廷に対する幕府の優位は歴然としていた。 ○ 1412年(応永19年)天皇は皇子の実仁親王(称光天皇)に譲り、院政を開始した。神器が南朝から返還されたときの約束では、後亀山天皇の皇子が次に立てられることになっていたが、義満の意向により、後小松天皇の皇子実仁親王が擁立された。 ○ 称光天皇が崩じると、上皇は貞成親王(崇光天皇)の皇子彦仁王を猶子として即位を図り、後花園天皇を誕生させた。その間上皇は院政を継続した。 |
|
陵墓名 … 深草北陵 法華堂 後深草天皇以下十三方合葬 所在地 … 京都市伏見区深草坊町 ○ 御陵は御手厘(ハコ)に納め、深草法華堂に奉蔵された。深草12帝陵の一つである。 |