第112代 霊元天皇(れいげん)地図
父 … 後水尾天皇(第十九皇子) 母 … 藤原国子(園基音の娘) 誕生 …1654年(承応3年)5.25 御名・異称 … 識仁(サトヒト)・高貴宮・素浄 中宮 … 鷹司房子 女院 … 松木宗子 立太子 … ――― 即位 …1663年(寛文3年)1.26 在位年数 …24年 崩御 …1732年(享保17年)8.6(年齢79才) 皇居 … 平安宮 年号 … 寛文、延宝、天和、貞享 ○ 幕府の意向によって、後西天皇が譲位させられたため、10才で即位した。 ○ 和歌や狂歌の他管弦、有識故実に明るく、我慢強い性質であったが、癇癪も強い人であった。 ○ 天皇は在位が22年にも及んだことを理由に譲位の意向を表明したが、将軍綱吉に慰留された。2年後に実現した。 ○ 院政を敷いたが、幕府により干渉され、院政を止め、政務を東山天皇に委ねた。幕府のことを「武蔵野は根本魔所也」と書き残されている。 |
唐門 泉涌寺唐門の奥に霊明殿があり、その奥が月輪陵となる |
陵墓名 … 月輪陵 九重塔 所在地 … 京都市東山区今熊野泉山町泉涌寺内 ○ 25陵・5灰塚・9墓の一つである。 ○ 1732年(享保17年)8.6崩御、17日入棺、29日遺詔を奉し、同日霊元院と追号して称された。霊元は孝霊天皇と孝元天皇の一字を取ったものである。 ○ 陵塔の石塔は九重で西面し、高さ5.45m、基壇は方6.6mの規模で、石柵をめぐらせている。 ○ 霊元天皇の御歯塔が、高野山奥の院燈篭堂前の路西側の玉川添い仙陵にある。柵をめぐらし、中御門・後花園・桜町天皇の御髪燈や桃園天皇などの御髪爪燈の九燈があり、それぞれ小円墳を築いて、上に宝篋印塔をたてている。 |