第120代 仁孝天皇(にんこう)地図

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光格天皇(第四皇子)
生母 東京極院藤原?子(勧修寺経逸の娘)
養母 欣子内親王
誕生 …1800年(完成12年)2.21
御名・異称 恵仁(アヤヒト)・寛宮(ユタノミヤ)
女御 鷹司撃子(贈皇后) 鷹司祺子(皇太后)
女院 正親町雅子
立太子 …1809年(文化6年)3.24
即位 …1817年(文化14年)3.22
在位年数 29年
崩御 …1846年(弘化3年)1.26 (年齢47才)
皇居 平安宮
年号 文化、文政、天保、弘化
公家子弟の教育機関である学習所の建築を進めた。しかし、完成を見ずに崩御された。学習院の前身であり、そこでは和漢の学問が講じられ、次第に尊皇論者を多く集めるようになり、後に尊皇攘夷運動の拠点と化していった。
治世中、度々米価が高騰して、各地で打ち壊しが頻発した。幕府も米価高騰と米の買い占めへの対応に追われた。(甲州天保一揆や大塩平八郎の乱などが起こっている。)
陵墓名 後月輪陵    九重塔
所在地 京都市東山区泉涌寺内
光格天皇の時と同様御槽に奏納された。
御槽の高さは約106cm、長さ2.27m、板の暑さ約4.5m、ふたの厚さ約3cm、七星盤の厚さ約4.5cmで、重さは約940kgである。
九重石塔は西面し、高さ5.85m、基壇方7.27mで、周囲に石柵をめぐらしている。正面中央に石門を設け、石扉を付加する。


唐門
泉涌寺唐門の奥に霊明殿があり、その奥が月輪陵となる