第64代 円融天皇(えんゆう)地図
父 … 村上天皇(第七皇子) 母 … 藤原安子(藤原師輔の娘) 誕生 … 959年(天徳3年)3.2 御名・異称…守平(モリヒラ)・覚如、金剛法 皇后 … 藤原媓子、藤原遵子 女御 … 藤原詮子(皇太后) 立太子 … 967年(康保4年)9.1 即位 … 969年(安和2年)8.13 在位年数 … 16年 崩御 … 991年(正暦2年)2.12(年齢33才) 皇居 … 平安宮 年号 … 安和、天禄、天延、貞元、天元、永観 ○ 在位中、皇居が3回も炎上した。976年(天延4年)の皇居炎上と京都の大地震があり、大変な出費であった。 ○ 当初、摂政は太政大臣実頼であり、左大臣は藤原師尹であったが、師尹が死去、兄師氏が代わった。天禄への改元(970年3月)にともない、朝廷の首脳部は交替し、左大臣に藤原在衛、右大臣」に藤原伊尹が任じた。摂政の実頼が死去、伊尹が摂政となった。在衛が死去したため実権は伊尹の掌中に握られた。 ○ 太政大臣へと栄進した伊尹の政治は1年と短く死去、その結果、表舞台に登場したのが伊尹の弟である藤原兼通と兼家の兄弟である。 ○ 兼通と兼家の兄弟間で摂政の地位をめぐり激しい争いが演じられたが、結果兼通が他界すると兼家の天下となった。 ○ 藤原氏の内部抗争に天皇が翻弄された時代であった。 |
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陵墓名 … 所在地 … 京都市右京区宇多野福王子町 ○ 東面する小円墳で、周囲約120m、村上天皇陵とともに所在不明となり、元禄の探索、幕末修陵の際も不明であったが、村上天皇陵が判明して、円融天皇陵も発見され、1889年(明治22年)修治された。 |
大雲寺⇒⇒⇒ |