第70代 後冷泉天皇(ごれいぜい)地図
父 … 母 … 贈皇太后藤原嬉子(藤原道長の娘) 誕生 …1025年(万寿2年)8.3 御名・異称 … 親仁(チカヒト) 中宮 … 章子内親王、藤原寛子、藤原歓子 立太子 …1037年(長暦元年)8.17 即位 …1045年(寛徳2年)1.16 在位年数 … 24年 崩御 …1068年(治暦4年)4.19(年齢44才) 皇居 … 平安宮 年号 … 寛徳、永承、天喜、康平、治暦 ○ 天皇はすべてにおいて頼通のいうがままであった。蹴鞠や歌合わせ等宮廷での優雅な生活に溺れ、朝政には一向に関心を示す気配がなかった。 ○ 道長の他界後、朝政は次第に源倫子の生んだ頼道、教通と、源明子を母とする頼宗、能信らの二系統によって運営されることになった。 ○ 頼通は関白として権勢を振るい藤原一族を左大臣などの要職につかせ、宇治に平等院を建立した。 ○ 後冷泉朝の事業としては新立荘園を停止する「寛徳の荘園整理令」、新立荘園を停止する「天喜の荘園整理令」が出された。 ○ この時代、安倍頼良(頼時)が、国司に従がおうとしなかったため、源頼義に安倍頼時追討の宣司を下した。頼義が鎮定し、これをきっかけに源氏の勢力が東国に浸透した。(前9年の役) |
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陵墓名 … 円教寺陵 円墳 火葬塚 … 京都市北区紫野下御兵町 所在地 … 京都市右京区竜安寺朱山竜安寺内 ○ 御骨は父後朱雀天皇陵の隣に収められた。一兆域内に三陵が治定されている。 ○ この地は円教寺跡ではないが、これを円教寺陵とするのは、「扶桑略記」等に、御骨を円教寺に奉安したことが記されているからである。 |