第84代 順徳天皇(じゅんとく)地図

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()()()天皇(第三皇子)  修明門院藤原重子(じゅうし)(藤原(のり)(すえ)の娘)
誕生 …1197年((けん)(きゅう)8年)9.10
御名・異称 守成(モリナリ)・佐渡院
中宮 藤原(りゅう)()
立太子 …1200年(正治2年)4.15
即位 …1210年(承元4年)11.25
在位年数 …12年
崩御 …1242年(仁治3年)9.12(年齢46才)
皇居 平安宮 
年号 承元(じょうげん)建暦(けんりゃく)(けん)(ぽう)承久(じょうきゅう)

生まれつき賢く、和歌や学問にすぐれていた。後鳥羽上皇のお気に入りで、兄の土御門天皇に強いて、順徳天皇に譲位させた。

倒幕準備を勧めていた後鳥羽上皇は、その進展により、皇位を仲恭天皇に譲位させ、順徳上皇になった。三上皇の出現であり、後鳥羽上皇を本院、土御門上皇を中院、順徳上皇を新院と称した。

後鳥羽上皇は順徳上皇とはかって北条義時追討の院宣を下したが敗れ、順徳上皇は佐渡へ流され、後鳥羽上皇は隠岐、土御門上皇は土佐へ流された。(承久の変)

佐渡へ配流21年、1242年(仁治3年)9月12日真野山行宮で崩御した。

陵墓名 大原陵  円墳            火葬塚…新潟県佐渡郡真野町真野

所在地 京都市左京区大原勝林院町

崩御後火葬され、左衛門大夫康光が遺骨を京都大原の墓所に納骨した。

後鳥羽天皇大原陵と同兆域内に所在、西面している。

火葬塚は佐渡真野川にある円墳で南面している。もと真輪寺の境内であったが、荒れ果てたため、1679年(延宝7年)周囲に土堤を築き門を建て修治された。近くに順徳天皇を祀った真野宮がある。

真野町西北にある黒木御所跡は、順徳上皇の仮宮の所在した場所である。今は柵をめぐらして、その跡を保存している。