第94代 後二條天皇(ごにじょう)地図
父 … 後宇多天皇(第一皇子) 母 … 西華門院源基子(左大臣源具守の娘) 誕生 …1285年(弘安8年)2.2 御名・異称 … 邦治(クニハル) 中宮 … 徳大寺忻子 立太子 …1298年(永仁6年)8.10 即位 …1301年(正安3年)1.21 在位年数 …8年 崩御 …1308年(徳治3年)8.25 (年齢24才) 皇居 … 平安宮 年号 … 正安・乾元・嘉元・徳治 ○ 即位後、持明院統と大覚寺統の抗争が後伏見天皇朝より激化し、両統迭立時代となる。 ○ 大覚寺統が分裂したが、特に両統とも初め子供がなく、特に後二条天皇は、3才年下であった持明院統の後伏見天皇から譲位され、皇太子を両統のどちらから選ぶかという嫡流問題があり、幕府に働きかけ、皇位継承の調停を依頼した。 ○幕府は両統から交互に皇太子を立て、譲位の時期は天皇の判断によることにしたので、皇太子は持明院統から選ぶことになった。 |
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陵墓名 … 北白河陵 円墳 所在地 … 京都市左京区北白川追分町 ○ 二条高倉殿において崩御、後二条院と追号され北白川殿に奉葬された。 ○ 当初は北白川殿陵と称されたが、のち改めて北白河陵と称された ○ 陵は俗称泓塚(フケヅカ)といい、円墳で南面し、高さは約2.5mで径約24mの規模の盛土の陵である。 ○ 周囲に空隍(クウコウ)をめぐらし、西南には東面する円墳の皇子邦良親王墓があり、東塚と称されている。 ○ 後二条天皇は火葬であったが、先の歴代天皇のように廟所を設けて納骨するのではなく、火葬した場所に墳丘を営んだ御陵である。 分骨所は上嵯峨の蓮華峯寺陵内にある。 |