櫻の井地図

   
 井は深さ9尺余、径約2尺2寸円形に積みあげた生れ石は
苔むして1500有余年の昔を物語っている。井水は水豊かで
昔から大和の七ツ井のひとつであった。
 この地に稚櫻部氏の祖神を祭る稚櫻神社の北に当たり、
井戸のほとりに桜が植えられていたことから「櫻の井」と呼ばれた。
 また、ここは履中天皇の磐余稚櫻宮の跡ともいわれている。
 尚、櫻井の地名はこの「櫻の井」からはじまると云われる。 
 二つの稚桜宮⇒⇒⇒稚桜宮⇒⇒⇒磐余の宮/磐余の名⇒⇒⇒ 、宮の名⇒⇒⇒
 膳臣余磯(かしわでのおみあれし)という人物が天皇に酒あお献じたとき、桜の花が舞落ちてきた。
「咲くべき時季でないのに咲いた。いったいどこの花だろうか」不思議に思った天皇は、物部長真胆連
(ながまいのむらじ)に命じて桜を探させた。
 長真胆連はやっとのことで腋上室山(わきがみのむろやま)で見つけ出し、献上した。
天皇は大いに喜び、即座に宮の名を磐余稚桜宮と名付けた。 

仁徳の御子初の兄弟継承 ⇒⇒⇒