法華山 一乗寺地図

   
 本堂(金堂、大講堂、大悲閣)重文
宗派 天台宗  本尊 聖観音菩薩 西国33ヶ所26番
桁行9間、梁間8間、入母屋造、江戸時代
  初代の本堂は白雉元年(「650)孝徳天皇の勅願によって創建された。
二代目の本堂は建武2年(1335)、後醍醐天皇の勅願で再建され、大講堂と呼ばれた。
三代目は大永3年(1523)兵火による焼失の後、永禄5年(1562)守護赤松義裕公により
創建された。
四代目の今の本堂は元和元年(1617)の焼失によって、寛永5年(1628)姫路藩主本多美濃守忠政公
によって建立された。 
 金堂大悲閣は162段の石段を登ったところにある。この石段は法華のきざはしと呼ばれる。
     
 本堂は寛永5年(1628)再建で舞台造り。外陣の天井に打ち付けられた多数の納札は
江戸時代のもの。境内には承安元年(1171)建立の三重塔がある。
   
三重塔(国宝)
 この塔は承安元年(1171・平安末期)に建てられたもので、日本でも10指に入る古塔。
 山腹に建っているため、長い石段を登りながら下からも上からも、眺めることができ、
上の層ほど屋根や軒下が小さくなっている安定した調和美がよく味わえると云われる。
また最上層の屋根が波形となっているのもこの塔の特色であり、蟇股にも平泉の中尊寺
金色堂と同様の平安末期建築の特徴となっている。 
 承安元年(1171)長史法印隆西、一和上仁西の勧進により造立、同4年(1174)額田部武末の
屋根瓦寄進によって完成。
国宝の仏塔一覧  一乗寺 最澄の面影 

   
 弁財天社と妙見社 護法社 
鎮守三社(重文)
 三社の創建は孝徳天皇の勅願に依る。中世の神社建築の様式の変遷を伝える。
弁才天社
 一間社隅木入春日造 室町時代 弁才天は福徳、除災、勝得、音楽などを司る。
妙見社
 三間社流造 室町時代 国士守護、災害滅除、福寿増長の妙見菩薩を祀る。 
護法社
 一間社隅木入春日造 鎌倉時代 仏法守護の毘沙門天を祀る。
   
   石造笠塔婆
石造笠塔婆
 この塔は、石英粗面岩でつくられ、二重の基壇上に立ち、総高2.9mである。
 反花座(かえりばな)をつけた台石上に方柱状の塔身をすえ、
正面に正和5年(1316)の刻印がある。
笠は下端に薄く平板状の垂木型をくりだ頂部に蓮弁を刻んだ請花(うけばな)・
宝珠をいただく。
 保存は良好で、蓮弁や軒反りの性質などよく時代の特徴を表している。
造立年代があきらか7なので、この種の石造遺品が少ない県下では注目される
存在である。  
     
常行堂(阿弥陀堂)   鐘楼(重文) 
 聖武天皇勅願建立。天文22年(1553)再建。
明治初年再々建に着手、同10年上棟式、平成4年
屋根葺き替え。不断念仏・止観道場として使用。
 寛永5年1628)本堂と同じく本多美濃守忠政公により再建。下層が高く、上層が小さく姿よく
造られている。「諸行無常 是生滅法 生滅滅巳 寂滅為楽」と鐘銘された梵鐘の鋳造も同じ時
と考えられる。
 袴腰付 入母屋造 江戸時代