蘇我入鹿首塚
寺の西門を出たところに五輪塔が建っている。入鹿が暗さつされた板蓋宮跡が見渡せる場所だ。中大兄皇子らは反撃に備えて寺にたてこもった。入鹿の首がそこを目がけて飛んできた。 入鹿としてはなぜころされたのか正当な理由を聞かないと納得できない。首が舞い上がり、中大兄と鎌足をにらみつけた。恐れをなした2人は一目散に逃げた。入鹿の首はモーコンの森で2人を見失い、三重県との境にそびえる高見山(地図)まで飛んでいった。日暮れになったので甘樫丘にあった自分の邸宅に帰ろうとしたが、首塚の上空で力尽きた。 今の首塚はの場所には、飛鳥寺の創建にかかわった高句麗と百済の高僧の墓があったとの言い伝えがある。そのひとつが崩れてなくなった。 崩れた石を重ねてひとつにした五輪塔が、いつからか「入鹿の首塚」と呼ばれるようになったらしい。そういえば、首塚は一番上の石が大きくてバランスが悪い。 モーコンの森は、石舞台から談山神社に向かって上がり詰めたころの気都和既神社(けつわき・地図)の森のことだという。案内板には「もうこの森」とかかれている。 「入鹿の首に追われた鎌足が、もう来ぬだろうといったことに由来する。」 2006年4月14日 朝日新聞 桐村英一郎 より |