巨勢山中腹、標高 200mに位置する神社。 祭神は、 はじめ 大山祇命であったと思われますが、 現在は伊弉諾の命伊邪那美の命 |
聖徳太子建立といわれる巨勢寺の子院のひとつであり、 「つら
つら椿」の名所です。 万葉集に 「巨勢山の つらつら椿 つらつらに見つつ偲はな 巨勢の春野を」 平安時代の洪水で村人が避難に窮したとき、 阿吽法師が来て村人を救済したので、その名前 |
春永大明神 金比羅大権現 |
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このあたり一帯は、万葉に歌われた 巨勢山てある。 平安時代に巨勢川が 氾濫して、里民が避難に窮したとき、阿呼法師なるものか来 て、これを救済したのて 人民は、 法師を崇めて玉梅精会に請住せしめたという。 王棒精合とは、巨勢寺のことでこれから阿叫寺の名が起り、巨勢寺の一子院となっ 貞治元年 火災て全焼し、以来荒廃して二六〇年、江戸時代初期に再建されている。 一九九四年(平成六年)五月 |
正福寺⇒ |