山尾家(重要文化財)
間取り⇒⇒⇒ 「新堂屋」の屋号。 道路に沿って、主屋、隠居部屋、東蔵が並ぶ。 さらに、主屋西北にざしき、その北側に内蔵、向蔵が現存する。 かっては、土蔵が四棟あった。 二階は正面のみ つし二階。 |
北尊坊通り東方に向かう。隠居部屋、東蔵。 | 北尊坊通り、西方向正面は巡明寺。 |
上の写真と同じ方向。手前から勅使門、主屋、東蔵と続く。 |
むしこ窓 | むしこ窓 | 側壁 |
正面庇付(ひさしつき)本瓦葺き。煙出し屋根。 | 鬼瓦 |
表から見た勅使門。門を開いた状態⇒⇒⇒ | 勅使門内の坪庭は、幕末の様式をそのままのこした町屋としては 貴重なものとして、県の文化指定になっている。 |
正面玄関 |
「みせおく」外から。 | 「みせのま」外から。 | 「隠居部屋」外から。 |
手前から、「つぎのま」、「やまのま(控えの間)」、 その奥左が「まつのま」、右が「とりのま」。 |
「みせおく」にあたるが、勅使門から迎え入れる最初の部屋となる。 | 八代将軍吉宗公の時代、巡見使を迎えるために、 「松の間」「鳥の間」「山の間(仏間、書院造り、控えの間)」が 増築された。 二条城の形を模倣したもので、ふすまは狩野派の絵師にょる。 幕末には、ここに太政大臣三条実美、右大臣岩倉具視、 参議桂小五郎(木戸孝允)らが宿泊した。 |
「なかのま」にある箱階段。 |
奈良県指定文化財 当家は、十六世紀中頃、桜井新堂村会津屋より分家移住したと伝えられ、「新堂屋」の屋号をもち、肥料・木綿商を行い、幕末には両替商もあわせて営み、町年寄りを勤めた大商家である。 幕府の巡見使一行の宿泊所にもなっている。 南側の道路に面し、主屋・隠居部屋・東蔵が並び、西端には座敷、北側には、多くの内蔵がある。 主屋は、十八世紀後半頃の建設とみられ、東側に通り土間をとった二列六間取りで、西端の座敷に通じている。座敷は、文政三年(1820)の棟木銘もあり建設年代も明らかで、装飾的な要素が多く華麗な建物とみられる。 主屋東側の隠居部屋は、二列四間取りで、東蔵に接していますが、主屋よりやや時代が降りるものとみられます。 山尾家は、北尊坊通りに面した広大な敷地に各建物が配置されており、町並み景観上貴重な存在である。 また、座敷周辺の坪庭も指定されている。 なお、明治十年天皇行幸の際、木戸孝允・三条実美の宿泊所にもあてられ、それらの資料も数多く保存されている。 |
十六世紀中頃、桜井新堂村会津屋より分家移住したと伝えられ、「新堂屋」の屋号をもち、肥料・木綿商を行い、幕末には両替商もあわせて営み、町年寄りを務めた大商家です。 幕府の巡見使一行の宿泊所にもなっています。 南側の道路に面して主屋・隠居部屋・東蔵が並び、西端には座敷、北側には、多くの内蔵があります。 主屋は、十八世紀後半頃の建設とみられ、東側に通り土間をとった二列六間取りで、西端の座敷に通じています。座敷は、文政三年(1820)の棟木銘もあり建設年代も明らかで、装飾的な要素が多く華麗な建物とみられます。 主屋東側の隠居部屋は、二列四間取りで、東蔵に接していますが、主屋よりやや時代が降るものとみられます。 山尾家は、北尊坊通りに面した広大な敷地に各建物が配置されており、町並み景観上貴重な存在です。 また、座敷周辺の坪庭も指定されています。 なお、明治十年天皇行幸の際、木戸孝允・三条実美の宿泊所にもあてられ、それらの資料も数多く保存されています。 |