松尾大社地図

 
桂川にかかる松尾橋からの眺め。
 京都の中央部を東西に走る四条通り。その東端の東山山麓に八阪神社がある。
この通りを反対の西にむいてどんどん行けば、やがて桂川にぶつかり、橋を
こえると松尾大社にたどりつく。
 
 
 本殿(重文)
 
御祭神
 大山咋上(おおやまぐいのかみ)
 中津島姫命(なかつしまひめのみこと)
 市杵島姫命
 三女神の一神
本殿は松尾造りと呼ばれる特殊な両流れ造りの建築、応水4年(1397)の建造。天文11年(1542)に大修理された。
 この神社に由緒のある何体かの男神像と女神像がひそかに祀られてきた。我が国の八百万の神々は目に見えない
存在であった。森や山に鎮まって姿を見せない神である。
 この神像つくりは奈良時代にはじまっていたが、今日に残る最古のものとして挙げられるのがここの男神像である。
 この男神像の姿が上半身と下半身とではまったく違ったスタイルでつくられている。顔面の表情が白髭をたくわえた
老人で、威厳をたたえる眼をしているのにたいして、下半身は若々しい仏像の足組みそのままに結跏趺坐(けっかふざ)
をしている。頭には中国官人風の帽子をかぶり、手に神道風の笏(しゃく)をもっている。
鳥居は女性の象徴か  三輪山磐座  松尾大社 
脇勧請(鳥居) 楼門
 現在の鳥居になるまで、
 勧請縄(かんじょう)→脇勧請→鳥居(神明鳥居、明神鳥居
勧請縄→大神神社 本山寺
脇勧請→松尾大社
神輿庫の酒樽 亀の井 霊亀の滝
 酒造家より献納された約100個の酒樽。
 亀の井の水で仕込むと腐らないと言われる。
 酒造家はこの水(霊泉)を酒の元水として造り水に混和して用いる。延命長寿、よみがえりの水ともいわれる。
 宝物館前の曲水の庭、故重森三玲さんの設計。
(みれい・1896〜1975、東福寺瑞峯院等築く)
   
 神幸祭神輿 
川渡しの御船、駕輿丁船(かよちょうぶね)
神幸祭(おいで)祭は、4月20日以後の
第一日曜日に行われ、
21日後に還幸祭(おかえり)が行われれる。
 相性の松
   
 一の井川  あじさい苑
 約10万戸の氏子の尊崇を集める。開拓・治水・土木・建築・商業・文化・寿命・交通・安産の守護神、として仰がれ、
醸造の祖神として全国の酒造家・味噌・醤油・酢などの製造および販売業者から尊崇を受けている。 
 酒造りの神様として信仰を集める松尾大社は、背後の松尾山を含む約12万坪が境内。
 京都最古の神社の一つで、太古この地に住んでいた人々が松尾山の神霊を生活の守護神として祀ったことが起源。
 本殿は、大宝元年(701)秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建以来、皇室や幕府の手で改築され、
現在のものは室町初期の応永4年(1397)の建造、天文11年(1542)大修理を施したもの。特殊な両流造りで、松尾造りと称せられている。 
 平安時代には上賀茂下鴨両神社とともに皇城鎮護の社とされた。 
 松尾山が神体山で、御鎮座場といわれるところがある。
高さ約5m、幅約15mの見事な磐座があるといわれ、しめ縄も何も張っていないが神主さんたちも朝晩拝んでおられる。
 社の創建は大宝元年であるが、神体山の信仰が先在している。松尾の本来の聖なる場所は御鎮座場であるといわれる。