長谷寺地図

 
 
 真言宗豊山派(ぶざん)総本山。 
 本尊の十一面観音立像(重文)は丈六の約2倍強の3丈3尺6寸(10.18m)
 長谷寺式十一面観音

 西国三十三所観音霊場の8番札所。桜やぼたんなど季節の花が彩る
「花の御寺」として知ら
れ、初瀬山の中腹にある本堂へ続く399段の屋根
付きの石段「登
廊」も有名。 

概要と特徴
 本尊は左手に蓮華、右手に鍚杖(しゃくじょう)を持ち約10mの巨像。慶安2年
(1650)徳川家光発願の舞台造りの本堂、境内の牡丹、百八間の登廊など美しい。
   
 仁王門  本堂(国宝)
   
 仁王門   登廊(重文)
 仁王門から本堂へ続く登廊が印象的。399段ある石段を登りながら、
桜、牡丹、紫陽花、紅葉、寒牡丹など四季折々の花が楽しめる。
 本堂の舞台からは、門前町や与喜山の原生林が一望できる。
 山号を「豊山」と称える。創建以来9度の罹災で焼失と復興を繰り返す。
 現在の本堂は、1650年に再建されたもので、平成16年12月に国宝
にしていされた。
 真言宗豊山派の総本山として、また西国三十三観音霊場第八番札所
として、全国に末寺3000余ヵ寺をかぞえ、多くの人々の信仰をあつめて
いる。 
  平安時代一条天皇の御代にはじめて建立された。
現在の門は明治18年(1885)の再建で、掲げる額は後陽成天皇の御宸筆である。
 登廊は長暦3年(1039)寄進、建立された。現在のものは明治23年の再建。
 仁王門から本堂に至る登廊は399段の石段。
本堂(国宝)
 徳川家光の寄進によって慶安3年(1650)に建立。入母屋造の正堂と礼堂からなる
双堂(ならびどう)形式で、前面に懸造りの舞台が付く大建造物。
 間口約26m、奥行き約27m、本尊は十一面観音菩薩立像(重文)
 追加⇒⇒⇒
   
   
   
参道 
   
参道 
 長谷寺は、山号を豊山(ぶさん)と号し、朱鳥元年(686)、道明上人が天武天皇のために
「銅板法華説相図」を初瀬山西の岡に安置したことにはじまり、のち神亀4年(727)、
徳道上人が聖武天皇の勅願によってご8世紀前半に本尊十一面観音様を東の岡に祀られた。
 現在のものは、1538年に造られた8代目で高さ約10m。左手に蓮の花が入った水瓶(すいびょう)、
右手に錫杖(しゃくじょう)を持つ独特な姿は長谷寺式と呼ばれる。
 徳道上人は観音信仰にあつく、西国三十三所観音霊場を開かれた大徳として知られ、
長谷寺はその根本道場とも呼ばれるゆえんであり、初瀬詣、長谷信仰は全国に広がった。
 初瀬は「隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)」とも表される山間地。 
 更級日記や源氏物語の初瀬詣でがある。 
 天正16年(1588)の頃、専誉僧正が入山され、長谷寺は関係寺院三千ヵ所寺を有する真言宗豊山派の総本山として、
また西国三十三所第八番札所として、檀信徒は200万人、四季を通じて「花の御寺」として多くの人々の信仰を集めている。
登廊(のぼろう・重文)
 石段の上に切妻造(きりづま)り、桟瓦葺(さんかわら)きの屋根。規則正しく並ぶ柱の間にまっすぐ伸びる回廊となっている。
 長暦3年(1039)春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒のお礼に造った。上中下の三廊に分かれている。
上廊は江戸時代、中・下は明治期に再建された。
 全長の108間は人間に108の煩悩があることを示唆している。
 石段の幅が徐々に広くなり、年を取るほど衰えやしがらみが増えてゆくことを意味している。
 399段を登り切った先には四(死)を迎えた後の極楽世界が広がっている。 
だだおし
 修二会が桔願される2月14日に行われる法要で、無病息災、厄除開運を祈願する。
 赤、青、緑の面をつけた三匹の大鬼が大声をあげながら登場する。長さ約4mの燃え盛る松明を手に持った男衆が、
鬼の背中を押さえつけながら本堂の内外を練歩く。
 松明が振られるたびに火の粉が飛び散る。参拝客はご利益がある松明の燃えかすを袋に詰めて持ち帰る。
 観音様の霊験は唐の国にも知れ渡り、面長に悩んだ皇妃が長谷寺の方角に向かって祈ったところ、絶世の美女に変身した。
寺には夫人から様々な宝物と共に牡丹の花が贈られた。それが牡丹の寺となったはじまりという。
百人一首74  遍照と小野小町 竹之内街道
八十八面観音巡礼   清少納言、枕草子で奈良を語る    
 
本堂に向かう登廊(のぼりろう) 
 
   
     
  登廊の周りなどに150種類、7千株がある。これらのボタンも午後にな
ると花がしおれる。四季折々の花の寺として名高い。  
年中行事
 12月31日~1月3日 観音万燈会
  1月1日~1月7日  仁王会・修正会
  2月3日        節分会
  2月14日       だだおし法要 : 千年以上続くとされる春を呼ぶ火祭り。重さ約120kg、長さ約4.5mの大松明から火の粉が舞う。鬼が本堂周りを練り歩く。
               ほら貝や太鼓の音とともに赤、青、緑の面をつけた鬼が「うおー」と声をあげて登場する。僧侶がお札の力で鬼を本堂の外に追い出し
               鬼は大松明とともに参拝者を威嚇しながら回廊をめぐった後、退散する。
               罪や過ちを仏前で悔い改め、心身を清める修二会を締めくくる儀式。松明の燃えかすは厄除けや無病息災の御利益があるとされる。
  4月中旬~5月上旬 ぼたんまつり
 10月上旬~12月上旬もみじまつり


花暦
  3月下旬~4月上旬 さくら
  4月中旬~5月上旬 ぼたん
  6月中旬~7月下旬 あじさい
 12月下旬~1月下旬 寒ぼたん 

 ご本尊の御足に触れて縁を結ぶ。

「源氏物語」や「枕草子」にも登場する古刹。西国三

十三所第八番札所,731までの西国三十三所結縁御開

帳特別拝観料1,000円)では本尊十一面観音菩薩の

御足に触れて縁を結ぶことができる。

 本堂内の厨子の入り口をくぐる と、黒光りする二つ
の大きな足が
まず目に入る。目線を上げれば、10m
を超す巨大な観音様。真下か
ら見上げる形になる。
豪快な衣の
ひだ、分厚い上半身、ふくよかな 迫力に
圧倒される。
 大きな足は、その指1本ずつが大人の手のひら

ほどの幅である。そこに手を触れ、願いごとを伝える
ことができる。

正面からは金色に輝く姿と向き合うことができる。

 観音菩薩は720年代に造立され、雷による焼失の
度に再建され
てきた。現在のものは室町時代の

1538年に完成した8代目である。



能阿弥顕彰碑
 室町時代の連歌師・茶人•水墨画家であり、足利将軍家に仕えて同朋衆(どうぼうしゅう)
として中国の美術品の目利きなどを担った能阿弥 ( 1 3 9 7〜 1 4 7 1 )。その顕彰碑が、
終焉の地である桜井市の長谷寺に完成した。
 高さ約 2mの庵治石製で、仁王門横の歓喜院の門前に建立された。能阿弥を研究して
きた茶道武者小路千家の家元後嗣の千宗屋さんが揮毫した「能阿弥顕彰之碑」の文字
や辞世の句などが刻まれ、能阿弥が描いた「蓮図」 (国重要文化財、大阪府忠岡町・正木
美術館蔵 )を写した銅板がはめ込まれている。 
 19日の除幕式には僧侶による法要が営まれ、千さんも出席した。寺には墓やゆかりの
史料などは残っておらず、千さんは「日本の文化・芸術に心寄せる人々にとって長谷寺
が心のよりどころとなることを切に願う」としている。  2024-3-24  朝日新聞  (小西孝 司 )