吉田神社地図

 吉田神社は、鬼門を守護する目的で造られた神社である。
舞殿 本社 本殿 四脚中門と御廊
四棟 春日造 朱塗
応仁2年(1468)兵火ににかかり、
天文3年(1534)造営。
祭神
 建武雷之男神
 天児屋命
 伊波比主命
 比売神
桓武天皇が平安京に遷都した延暦13年(794)、都の東北に位置する吉田山を鬼門に、王城を守り鎮める地とした。
貞観元年(859)に藤原北家の流れをくむ貴族藤原山陰が、邸内に春日大社から神霊を迎え祀ったのが始まりである。
 ここは都の中で、最も危険な方角に位置していた。怪しげな妖気が漂い、貴人がこのあたりを通る時、
妖艶な美女がどこからともなく現れ、男を足止めしたという。
従って、平安時代より盛んに追儺式(ついなしき)が行われた。2月の節分に盛大に行われる鬼やらいの神事がそれであり、
今に伝わっている。
 追儺式の日には赤、黄、青の三匹の鬼が出没し、鉄棒を振りかざし参詣人の間を暴れまわるのである。
また火が焚かれ、古札や護符を焼き、一年無病息災が祈願される。
 
 拝殿前の火炉
末社 斎場所大元宮 末社 斎場所大元宮本殿(重文) 末社 斎場所大元宮本殿(重文)
 祭神 天神地祇八百万神(あまつかみくにつかみやおよろずのかみ)
 唯一神道(吉田神道)の根本殿堂。
 本殿の東西には式内神3132の全国の神、社殿の奥東神明社に天照大神、西神明社に豊受比売神が祀られている。
 朱塗りの八角に六角の後房をつけた茅葺八角の屋根の特殊な建築。
 大元宮は、吉田神社の社家である吉田家の斎(いつき)の場所である。
 吉田家は朝廷に仕え、陰陽寮において占いのことを司った古い家柄で、鎌倉時代以降一族から学者・文人を輩出し、
「徒然草」の作者吉田兼好の他兼倶(かねとも)、兼方(かねかた)などがいる。 
末社 今宮社
田道間守⇒⇒⇒
三輪山磐座⇒⇒⇒
三高記念碑
 吉田山というのは神楽丘ともいい、そのクラというのは磐座の座とお同じに、
神の鎮まる丘という意味でもある。
そこに吉田神社が建立された。本来、神体山にはみだりに人が入っては
いけない禁足地のはずなのに、そういう伝統が忘れ去られてしまっている。