田道間守(たじまもり)地図
垂仁天皇陵のお堀に浮かぶ田道間守の円墳 の墓。 |
この写真の位置は少し悪いが、 墓の正面にある鳥居。 お墓の奥に微かに見えている鳥居が 垂仁天皇陵のもの。北東方面より見たところ。 |
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垂仁天皇陵。南方より。 |
古代の伝説上の人物。天日槍(あめのひぼこ)の裔で、垂仁天皇の勅を奉じて常世国に至り、非時香菓(ときじくのかくのこのみ)(橘)を得、10年後に帰ったが垂仁天皇崩後であったので、香菓を山陵に献じ、嘆き悲しみ、遂に陵前に殉死したと伝える。――広辞苑より―― |
「日本書紀」によると、第11代垂仁天皇の時、勅命を受けてトコヨの国(中国雲南省か)へ不老長寿の薬を求めに行った田道間守が、11年の長い間苦労してようやく秘薬を捜し求め、持ち帰ったところ、天皇は既にお亡くなりになっていた。 このとき彼が持ち帰ったものをトキジクノカグノコミといい、この実を当地に蒔くとやがて芽を出したのが橘(ミカンの原種)で、それからこの地を橘と呼ぶようになったと伝えられる。また彼は、黒砂糖をも持ち帰り橘とともに薬として用いたので、後に蜜甘・薬・菓子の祖神として崇め祭られるようになった。菓子屋に橘屋の屋号が多く用いられるのは、この縁によるものである。――橘寺縁起より―― |