生駒山山頂(642m) 奈良県生駒市と大阪府東大阪市との間に連亙する生駒山。 南の竜田越とともに、大和から河内に通じる交通路にあたる。 |
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山頂から藤原京跡・飛鳥方面を望む。左の丘は矢田丘陵。 生駒の山脈は、奈良県の大和、大阪府の河内とを境する山だが、当時の大和の人には、 国のまほろばをまもる自然の城壁のように思われたであろう。 同時に西に旅する人にはどうしても越えなければならない障害であり、 また家郷をへだてるものであった。 |
南方に信貴山(437m)を望む。 ほぼ同じ方向に、葛城山(959m)が、 その南には金剛山(1125m)がある。 これらの山塊は奈良県と大阪府を分けて、 南北につらなっている。 |
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暗峠の石畳。 「日本の道100選」にも選ばれている。 日本で石畳を敷いた道路は少なく、柳生街道、 箱根、中山道の馬籠、熊野古道の馬越峠 などにすぎない。 この道は奈良の三条大路を西にのびて 矢田の丘陵を越え平群川をわたり、峠を越えて 枚岡神社のわきにでる道。 石を敷いた道⇒⇒⇒ |
暗峠・暗越奈良街道 日本の道100選に選ばれている「暗越奈良街道」は大阪と奈良を結ぶ往時の幹 線道路で、現在も国道308号として現役の道路です。府県境の暗峠は、日本 の峠100選に選ばれており、当時の面影をしのばせる石畳が今も敷かれていま す。峠付近には、ハイキングコースもあります。 |
峠の東側が奈良県、西側が大阪府。標高455mの峠の 「暗越奈良街道(くらがりとうげ)」地図 |
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生駒越の道は、山頂の北に善根寺越、辻子(ずし)谷越があり、南に暗(くらがり)峠越があるが、 当時の主要路はいずれか明らかでない。 あまりに坂が険しく馬の鞍が反り返る鞍覆(くらがえり)峠などと言われた。道中で馬が痩せ紐が緩んで鞍が覆 るのが名の由来。 |
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暗峠(くらがりとうげ) 暗峠越えは大阪と奈良を結ぶ最短路で、峠付近には石畳や石仏が残り、当時の面影をしのぶことができる。 近世には宿場町としても栄え、「菊の香やくらがり登る節句かな」と芭蕉の句にもある。 奈良と大阪の府県境にある峠道。生駒市側も東大阪市側も非常に急坂となっている。頂上 付近の石畳や集落などは街道筋の面影をとどめる。雄略天皇が若日下部王に会いに行っ た「日下の直越えの道(ただこ)」という説もある。 |
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暗峠の名 生駒市西畑町と東大阪市東豊浦町との境 一、神功皇后が三韓征伐にむかわれたとき、朝の鶏の声を合図に出発することになっていた。ところが鶏 は鳴いたが、あまりに早過ぎていくら行っても夜が明けず、とうとう峠の頂まで登ってもまだ暗かったのでこの名が付いた。 二、称徳女帝と道鏡の命で和気清麻呂が流刑の沙汰に及んだ。よってこの峠で暗殺せよとの命が下る。と ころが俄かに雷雨が起り、天地暗黒となり清麻呂は危難をのがれたという。そのとき暗くなったので暗峠という。 三、郡山城築城のとき、この付近より用材を搬出した。それ程よく茂っていたので暗い峠といい習わされ ていた。 |
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動画 生駒山つつじ園⇒⇒⇒ |