岡本寺地図
岡寺と同じ参道を行く | 市山小墾田院岡本寺 |
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寺伝によると飛鳥時代・舒明天皇の飛鳥岡本宮とも天智天皇の岡本宮ともいわれる跡地に建立された伝えられる。 本尊は如意輪観音菩薩、平安時代中期、木彫座像。 宮の名⇒⇒⇒ |
奈良の昔話 龍蓋池 龍蓋池(りゅうがいいけ) 西国三十三所第七番札所,厄除け観音霊場として知られる岡寺。蓋寺とも呼ばれる。その寺名のいわれとなった龍と池の話。 昔々、明日香村の岡というところに1匹の暴れん坊の龍がいて村人たちを困らせていた。雨のいらない時に急に大雨を降らせたり、田畑に種をまいて芽が出ると、地面を這い回って芽を枯らせたり。 明日香村東の山腹に建つ岡寺(龍蓋寺)。僧義淵は、のちに仏教界の最高位僧正に任じられた。奈良時代の高僧行基、良弁らはその弟子。 朱塗りの仁王門を入ると、境内に本堂、開山堂、書院、三重塔など。龍蓋池は今も残る。 三重塔からさらに散策道をのぼると、西に明日香の地が一望できる。遠く生駒山、二上山、葛城、金剛の山々。 手前に畝傍山、甘樫丘、橘寺、川原寺跡も。散策道の両側は、初夏は石楠花、秋は紅葉で美しく彩られる。本堂の本尊、如意輪観音像(奈良時代,重文)は日本最大の塑像。高さ約4.6m。この観音のご利益を求め、平安時代から巡礼者でにぎわった。 江戸時代、本居宣長の『菅笠日記』に笈摺(おいずる)の老若男女が詣ですき間もな |
岡寺(龍蓋寺) 明日香村の岡寺寵蓋寺)は、1月〜3月には厄除け祈願でにぎわう。本尊の如意輪観音像の胎内に納められていたと伝わる如意輪観音半跏思惟像は、昔、仏師稽首 県民だより 奈良 2017 3月号 |
ハイキングコースとして人気の高い山の辺の道。天理市の石上神宮と桜井市の大神神社のほぼ中間にある長岳寺。総門(大門)は、別名「肘切り門」といわれ、その名の由来についての話。 昔、尻掛則長(しっかけのりなが)という刀鍛冶の名人がいた。則長の鍛えた刀はよく切れると評判だったので、長岳寺のお坊さんも「ぜひ私にも作ってほしい」と頼んだ。 ところが、何日たっても音沙汰がない。しびれを切らしたお坊さんはある日,則長の仕事場へ様子を見に行った。「トンテンカン,トンテンカン」と心地よい音が響いていたが、窓からそっと覗くと、真っ赤に燃える火は、炭火でなくモミガラの火だった。「なんや、火力の弱いモミガラか。ええ刀ができるわけがない」と、がっかりして帰って行った。 ある日、則長が「刀が出来上がりました」と寺へやってきた。お坊さんは「どうせ大した刀ではないやろ。もういらん」と、中身も見ずに突き返した。則長はかんかんに怒った。「丹精込めて作り上げた刀を、見もしないで返すとは」そこで則長は、「刀が切れないかどうか、ご覧に入れましょう」と言うや、その刀で、門の屋根を支える肘木をスパッと切り落とした。お坊さんは驚き、「私が悪かった」と謝り、刀を受け取った。それから、肘木が切られた門は「肘切り門」と呼ばれるようになった。 長岳寺は、天長元年(八二四)、淳和天皇の勅願、空海の創建とされる古刹。鎌倉時代は興福寺の末寺となり、盛時には塔頭四十八、僧兵など衆徒300余りを数えたという。時代とともに栄枯盛衰を重ねた。今は「花の寺」としても有名だ。一万二千坪の境内は、四季折々、美しい花々で彩られる。四月は、桜に続き下旬からは平戸つつじの燃えるような紅色が広い境内を圧倒する。 2017 4月号 県民だより 奈良 奈良のむかしばなし 山崎しげ子 |
長岳寺には、日本最古の鐘楼門(重文)がある。他にも重要文化財の建造物や仏像と四季折々の花が楽しめ、秋の紅葉も有名。山の辺の道の散策とあわせて楽しめる。江戸時代に再建された大門(肘切り門)は、寺の入り口となる。 10月23日〜 11月30日には、九幅の掛け軸で構成され、全体で縦が約3.5 m、横は約11 mの一枚の絵となる大地獄絵(県指定文化財)が開帳される。期間中は、住職による「絵解き」 も随時行われている。 |
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