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第13代 成務天皇 (せいむ)地図
 
     
(けい)(こう)天皇(第四皇子)
……()坂入(さかいり)(ひめ)
誕生…84年(景行天皇14年)
御名・異称稚足彦(わかたらしひこの)(みこと)
皇妃弟財郎女(おとたからいらつめ)
立太子…121年(景行天皇51年)8.4
即位…131年(成務天皇元年)1.5  
在位年数…59
崩御190年(成務60年)6.11  年令107
皇居()(がの)(たか)(あな)()宮  年号━━
○日本武尊の伝説が示すとおり、国内統一がかなり進み、国家の政治組織を整備したことが見える。
○新しく地方を国、郡、県、邑の行政区画に分け、それぞれの長を定めた。
崇神天皇以来の国家統一事業の総仕上げを行ったと伝えるが、その確証はない。

天皇と宮の名 近江志賀高穴穂宮   

陵墓()(きの)(たた)(なみの)(いけ)(じりの)(みささぎ)(佐紀石塚山古墳)前方後円墳
所在地奈良市山陵町字御陵前
○南面する三段築成の巨大前方後円墳で、丘陵の西端を巧みに利用して造営し、前方部の細長いいわゆる柄鏡式である。全長約218m、後円部径約130m、同高約20m、前方部幅約110mの規模で、前方部幅対後円部径の比は10.8となり、かなり細長いことが知られる。周濠はかこんでいるが、一定せず、西側濠幅約15mが本来の濠幅であるとされている。
○墳丘裾部に多量の礫石が確認できるので、葺石が顕著で石塚山と俗称されるのも、その証左であり、後円部頂上は特に(ふき)(いし)が多用されているとの指摘がある。主体部が竪穴式石室で長持形石棺であることを裏づけている。墳丘は三段築成である。
○「扶桑(ふそう)略記(りゃっき)」によると、1063年(康平6年)に盗掘され、出土品を埋め戻しており、1852年(嘉永5年)にも同じことが起こり、鏡、玉、剣等の三種の神器の出土を伝えている。1863年(文久3年)修補された。
○「皇陵史稿」によると、1844年(弘化元年)9月に、近くの農民が成務陵を発掘、曲玉、管玉、朱を掘り出し、高さ4尺、長さ7尺、幅4尺の規模で、長さ8尺、幅5尺の亀甲文を施した蓋であることを指摘する。
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