第4代 懿徳天皇(いとく)地図

 山の辺の道 散策ガイド 飛鳥 散策ガイド  京都 散策ガイド 
父…安寧天皇(第二皇子)
母…命(ぬなそこなかつひめ)
誕生…前553(綏靖天皇29)
御名・異称…大日本彦耜尊(おおやまとひこすきともみこ)
皇后…命(あまとよつひめ)
立太子…前538(安寧天皇11)1.1
即位…前510(懿徳天皇元年)2.4  在位年数…34
崩御…前477(懿徳天皇34)9.8  年令…77才
皇居…宮(かるのまがりお)  年号…━━

〇都を「日本書紀」は曲峡宮(まがりおのみや)と称し、「古事記」は軽(かる)の境岡宮としている。軽は現在の橿原市大軽町付近とされているが、後の孝元・応神両天皇の皇居もこの地であった。

現在のところ証明できていない。

陵墓…
陵(うねび山のみなみのまさごのたにのえのみささぎ)   山形
所在地…奈良県橿原市池尻町
〇「延喜諸陵式」には「兆域東西一町、南北一町、守戸五烟」、よって「繊沙(まさご)」と「真名子」は音で通じ、畝傍山の南麓に「まなご谷」と呼ぶ地があり、これを最大の理由として治定された。
〇御陵頂部は丸山古墳と称する小円墳があったようで、一時神武天皇陵に治定されたこともある。
自然の舌状丘陵をうまく利用して立地し、両側の谷をとりこみ、丘高は約16m。ほとんどは自然地形のようである。東側の谷を「マナゴ谷」、西側の丘陵を「マナゴ山」と通称する。1864年(元治元年)に修補され、生垣を前方後円の形にめぐらしている。
欠史八代 古墳 天皇と宮の名 
志貴御縣坐神社 和田萃   六御県ー古代天皇家の基盤ー