石の宝殿地図
生石神社(おうしこ)
幅、奥行き、高さとも約6m。推定500トン。。表面にノミで加工した跡があり、人口の造形物である。 兵庫県高砂市の生石神社(おうしこ)のご神体である。 |
背後にテレビのブラウン管のような出っ張りがある |
竜山丘陵の東斜面、眼下に加古川下流の眺望の優れた位置を占める。全山が竜山石の名 で知られる溶結凝灰岩からなり、その岩盤からなり、その岩盤を穿って作り出した遺構。 生石(おうしこ)神社ご神体として前面に拝殿が建つ。高砂市弥陀町生石字宝殿山に所在。 山腹に幅2m前後の「コの字」の溝を垂直に掘下げ、中に方形の大石を残して整形を加えたもの。 岩山東斜面から彫り進み、底部の大部分を残して放置。底部の掘り凹めた部分が現在は池となる。 正面(東面)幅約6.74m ×奥行5.16m ×高さ5.16mを計り立方体に近い形。背面に切妻屋根を倒し た突起物(底辺2.36m、側面2.92m、高さ1.9m、棟幅0.57m)がある。 この石造工作物の性格について、現状のまま上面に墓室を作る説と、西面を上に引き起こした 状態で墓室とする説。後者は更に橫口式石槨墓と考える説と、屋根部と身部を切り離す家型 石棺説に分かれる。考古学的に見れば、益田岩船,牽牛子塚などとの比較から、7世紀前半に 巨石に工作を加え、石室を作り、棺を納める墓槨を設計し、工事途中で中止したとする説有力。 『播磨国風土記』の中に「原の南に作石あり、形、屋の如し。長さ二丈。広さ一丈五尺高さかくの如 :益田岩船::巨大花崗岩の上部を富士山型に平滑にし、東西の長さ約11m、南北の長さ約8m、 |
地元には出雲の神様がこの地にきて、石の宮殿を造営しようと一夜のうちに 工事を進めたという神話がある。しかし、工事半ばで別の神様による反乱が起き、鎮圧した時には夜明けとなり未完のままになったという。 土木工事を好んだ斉明天皇がかかわっている推理もある。7世紀ごろ作られた説が有力である。 石の宝殿は江戸時代、「天逆鉾」「塩釜神社の塩釜」とともに「日本三奇」の一つに数えられていた。 |
生石神社(おおしこ)
少彦名神(高御位大神。粟島神とも云う) 「我が霊を斎き祭らば天下は泰平なるべし」とのお告げが有り ここに生石神社が創建。以来忽ち悪疫も終息し天下泰平となる。
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略紀⇒⇒⇒ |
2007-3-20
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