益田岩船(ますだのいわふね・ましたのいわふね)地図
益田岩船⇒⇒⇒ | |
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飛鳥方面の見晴らしのいい橿原市の南端、貝吹山の連峰である岩船山(130m)の頂上近く花崗岩の 巨大な石造物で、俗に益田岩船とよばれている。 丘陵上に東西約12m・南北8m・高さ約4.5m、上面に1.6m四方の穴が、深さ1.3m、1.4mの間隔 で2個あいており、重量は推定160トンの花崗岩巨石であり、我国最大の巨石遺跡である。 石舞台の大きい方の天井石でさえ77トンであり、いかに大きいかである。 |
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東に御破裂山(ごはれつやま)、西に葛城山、東北に天香具山その延長線沿いに三輪山がある。 | |
誰が何のために造ったか諸説 1、弘法大師が干ばつ対策で造成した益田池の完成記念碑を岩船の穴に立てたいう。 弘法大師の筆になる碑の台石。 2、岩船の上で天武帝や持統帝が新しい宗教行事を行った。 3、古墳の石室説で、石材を上から下へ整形し、完成後に90°手前起こすと穴二つが2人用の石室になる。 石の亀裂があり未完成。亀裂は石の深いところまで達している。 4、古代の天体観測に用いられたとする。 |
全貌をあらわしている北側では上半部が平滑に仕上げられているが、下半部には石の整形のための 仕事と推定される格子状の溝が刻まれている。この格子状の溝は、東西側面や南側面にもみられる。 このような格子状の刻みは、明日香村の亀石にもみとめられる。 |
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牽牛子塚(けんごしづか)古墳の石槨や近くの益田池の石碑という説のほか、松本清張は小説「火の路 (みち)」でゾロアスター教の拝火壇(はいかだん) 説を唱えた。 |
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