十市御縣坐神社(といちのみあがたにいます)地図

本殿 拝殿 式内大社 十市御縣坐神社の碑
祭神 豊受大神 市杵島姫命
 創建年代は不詳であるが、
貞観元年(859)正月27日既に従五位上の神位を授けられた記録がある。
皇居が大和にあるときに六御縣神社の一座として朝廷の尊崇篤く醍醐天皇延喜の制に大社
に列せられ祈年月次新嘗祭には案上に官幣を授かる。
延喜式神名帳 神大 月次新嘗
 境内に大日堂があったが明治元年の廃仏毀釈によって本尊の大日如来は正覚寺に移される
末社 四柱神社
祭神 天之御中主神
    高御産巣日神
    神産巣日神
    天照大御神

御創建年代は不詳であるが 清和天皇貞観

元年皇紀一五一九年 西暦 八五九年 
正月二十七日既に従五位上の

神位を授けられており高市葛木十市志貴山邉曾布と
大和國六御縣神社の一座として

朝廷の尊崇厚く醍醐天皇延喜の制には大社に列し
祈年新嘗月次の案上官幣に預かる

又古この地方は朝廷の御料地でありその守護

神として蔬菜の生育を祈願せられ庶民よりも

農業の神として廣く信仰をあつめ後年俗に

十三社明神と稱された 

 






















正覚寺地図

 

本寺院は正覺寺正覺院と称し通称南の坊
ともいわれている

牛瀧さと呼ばれるのは近郷の農耕との

結びつきの名残だと思われる

創建年代所属宗派も不明だが附近

に大門 墓森 信長寺 などの地名があり
御厨の池ともいった放生
池が
往時の面影をのこしており

内には天正の碑石もあって元は寺

域も広く相当な寺院であったも

と想像される

徳川期には領主旗本の郷役人の宿当てられて いた

十市御縣坐神社の旧神宮寺本尊、大日如来像は修理中