第121代 孝明天皇(こうめい)地図

 山の辺の道 散策ガイド 飛鳥 散策ガイド  京都 散策ガイド 
仁孝天皇(第四皇子)
新待賢門院藤原雅子(正親町実光の娘)
養母 藤原祺子
誕生 …1831年(天保2年)6.14
御名・異称 統仁(オサヒト)・煕宮
女御 九条夙子(英照皇太后)
典侍 坊城伸子、中山慶子
立太子 …1840年(天保11年)3.14
即位 …1846年(弘化3年)2.13
在位年数 20年
崩御 …1866年(慶応2年)12.25(年齢36才)
皇居 平安宮    年号 弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応
幕末の動乱期の天皇で、米使節ペリーの来航に対する幕府の判断が問題視され、国内が開国と譲位に分かれる中で、譲位を進めた天皇である。
外夷からの開国の圧力が強くなった時、政治判断が幕府から朝廷に戻されることになった。「勅許」の絶対性が確立された。
井伊直弼が倒れたのを機会に、急速に公武合体論へと傾斜していった。そして尊皇攘夷を幕府に実現させるため、和宮を将軍家茂へ降嫁させた。
内外を取り巻く情勢は天皇の意向に反する方向へ進み、鎖国から開国への流れは止まらず、討幕への動きは加速化していった。
1866年(慶応2年)12月25日崩御、天然痘説と毒殺説等疑問が出されている。
陵墓名 後月輪陵東山陵     円墳
所在地 京都市東山区泉涌寺内
御槽は長さ約2.29m、幅1.25m、高さ0.86m、内面の底には七星盤が置かれ、ふたは重さ938kgである。 1867年(慶応3年)1月7日、御槽を御棺(長さ約2.5m、幅約1.49m、高さ約1.24m、重さ589kg)に納めた。
1月10日、梓宮を清涼殿に移し、御槨に納め、御槽、御棺、御槨の順にふたを固められた。(御入棺・長さ約2.7m、幅約1.67m、高さ約0.86m、重さ約637.5kg)
円墳上御須屋を置いている。御須屋は檜皮葺単層切妻流造りの、方4間、軒高約4.5mの規模で、南面に唐戸を設けたもので、正面には鳥居があり、この前に拝舎がある。 英照皇太后後月輪東北陵も同じ兆域内にある。

青蓮院門跡の由緒  時代まつり  白峯神宮 
泉涌寺 平安神宮   崇徳天皇御廟