ゆるやかな高台に造られた天皇陵。 藤井寺市役所展望台より望む、特徴のある二上山もよくわかる。 |
誉田宗?(そうびょう)縁起絵巻(重文) 永享5(1433)年 室町幕府第六代将軍足利義教奉納 |
河内名所図会 享和元(1801)年刊 |
百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議のパンフレットより |
ドローンによる上空から 1⇒⇒⇒ ドローンによる上空から 2⇒⇒⇒ ドローンによる上空から 3⇒⇒⇒ |
父…仲哀天皇(第四皇子) |
国史跡の指定 陵墓周辺(古墳の外濠と外提)の史跡指定。他には箸墓古墳の隣接地が予定されている。 |
古市古墳群の一つ。 全長は仁徳天皇陵(大山古墳)に次いで 2番目。 推定築造は5世紀前半、墳丘部は 全長425m、高さは36mあり、 墳丘の土の総量はダンプカー17万台分。 体積では国内最大。 墳丘の周囲に二重の濠(ほり)と堤が 巡り、アパートや戸建て住宅が張り付 いている。 内濠の東側に全長100mの二ツ塚古墳 が築かれ、内濠と内堤がこの陪塚を 避けるように外側に変形している。 古市古墳群は、全長200mを超す7基 の巨大古墳から、1辺10m足らずの方墳 まで約100基が集中する。 |
応神天皇陵と誉田八幡宮 大阪府羽曳野市の応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳)は、2020年 誉田八幡宮(こんだ)はその南に鎮座し、誉田別尊(ほむだわけの |
応神天皇と大隅宮 応神天皇の時、難波には大隅宮(おおすみのみや)があった。 その高台からは難波の大津を出ていく船が望めた。 |
時 代 古墳の形 前方後円墳 墳丘の全長 290m 墳丘は3段に築かれるが、最新の測量図では墳丘裾に近い位置に平坦面が認められ、4段築成 を意図していた可能性があります。 くびれ部の両側には造出しが設けられ、 埋葬施設には 石棺が用いられているとの伝承があります。 墳丘の周囲には幅の狭い急峻な斜面からなる濠が巡り、その外側を取り巻く幅の広い堤が本 墳を特色付けています。堤には隙間なく円筒埴輪が並べられていました。堤からは形象埴輪も |
参道正面は古室山古墳 |
藤井寺市 |
日本書紀 四十一年の春二月の甲午の朔戊申(15日)に、天皇、明宮に崩りましぬ。時に年 一百一十歳。 (一に云はく、大隅宮に崩りましぬといふ。) |
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安閑二年九月条に難波大 大道村」というが、地名辞書は西成郡北中島東部 (今、大阪市東淀川区東大道町・西大道町)とする。 |
天皇と宮の名 |
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