甘樫坐神社(あまがしにいます)・盟神探湯(くがたち)地図

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遺構
甘樫坐神社  推古天皇豊浦宮跡発掘調査時の保存遺構が塀の中にある。
見学は向原寺境内を入り申し込む。
祭神 推古天皇 八幡大神 春日大明神 天照大神 八咫烏神 
    住吉大明神 熊野権現
式内大社 、村社
社殿 春日造
大字豊浦、大字雷の氏神
延喜式神明帳高市郡の「甘樫坐神社四座」と記されている。
向原寺(豊浦寺跡)隣
  八咫烏⇒⇒⇒
 「熱湯の中の小石を取らせ、手がただれるかどうかで善悪を判断したという、
允恭天皇の時代におこなわれていた古代の裁判方法を神事として伝えています。
甘樫坐神社四月(第一日曜日)例祭では、手に見立てた笹の葉を熱湯に浸し、
お守りとして持ち帰ることができます。」
 4月6日境内にある「立石」のまえに釜をすえ、手に見立てたササの葉を釜の湯に浸して無病息災を祈る。
 允恭天皇四年: ・・・(すなは)味橿丘(うまかしのをか)辞禍戸(ことのまがへの)さきに、
探湯瓮(くかへ)()ゑて、
諸人(もろひと)を引て()かしめて(のたま)はく、「(まこと)()むものは(また)からむ。
(いつは)
らば必ず(やぶ)れなむ」とのたまふ。
盟神探湯、此をば区訶陀智(くかたち)と云う。
或いは(うひじ)(なべ)()れて煮沸(にわか)して、手を (かきはつ)りて湯の泥を(さぐ)る。
或いは(をの)を火の色に焼きて、(たなうら)に置く。是に、諸人(もろひと)
木綿(ゆふ)手繦(たすき)()て、(なべ)に赴きて探湯(くかたち)す。
則ち(まこと)(うる)(ひと)はおの(おの)づからに(また)く、
実を得ざる者は皆(やぶ)れぬ。是を以て、(ことたへ)(うつは)る者は、
愕然()ぢて、(あらかじめ)退(しりぞ)きて進むこと無し。
是より後、氏姓自づから定りて、更に(うつは)る人無し。
 盟神探湯はその他にもみられる。 
応神紀九年四月の条  継体記天皇二十四年九月の条  遷都 
甘樫神社 和田萃  履中と男浅津間若子宿祢命   













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