佐紀御陵山古墳(さきみささぎやま・日葉酢媛命)地図
佐紀瓢箪山古墳 地図
八幡神社 地図
猫塚古墳 地図
鏡玉神社 地図
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佐紀御陵山古墳(さきみささぎやま・日葉酢媛命)
第11代垂仁天皇の皇后で、第12代景行天皇の母にあたる日葉酢媛命(ひばすひめのみこと) の墓として宮内庁が管理する。 日葉酢媛命は垂仁天皇15年に皇后となり、3男2女をもうけて、同32年に亡くなったとされる。 その際、野見宿禰(のみのすくね)が殉死の禁止を進言し、人や馬などのを模したものを土作らせ て墳丘に立てた。これが埴輪のルーツとされる。 |
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古墳の長さ206m、竪穴石室は長さ8.6m、幅1m、高さ1.5m。4世紀後半から末ごろの築造と 考えられている。 |
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佐紀瓢箪山古墳
史跡瓢箪山古墳 瓢箪山古墳は、前方部を南にむける前方後円墳で、墳丘の全長九六メ ートル、後円部径六○メートル、同高さ一〇メートル、前方部幅四五メ ートル、同高さ七メートルである。 前方部の西南隅で大正年間に土砂採取が行なわれ、一部原形をそこな っていた。墳丘の周囲には前方部の西南をのぞいて周濠がめぐらされて いる。周濠が全周しないのは本古墳の西南に隣接する丸塚古墳をさけた ためと考えられ、丸塚古墳が本古墳に先だって築造されていたことを想 定させる。その他の外部施設としては、墳丘の一部と周濠に葺石が、ま た墳丘で円筒埴輪の遺存が確認されたが、量は少ない 。後円部の埋葬施 設や副葬遺物については明らかでないが、大正年間の採土の際、前方部 から粘土槨が発見され、碧玉製琴柱形石製品三点が出土したと伝えらて いる。古墳の築造年代については、墳丘の形態などから古墳時代前末期 から中期初頭(四世紀末〜五世紀初頭)と推定されている。 本古墳を含む佐紀盾列古墳群は、わが国でも有数の大古墳群であり、 天皇、皇后陵の伝承をもつ古墳が数多くみられるところなどからも、日 本古代史研究上きわめて貴重な古墳群とされている。 瓢箪山古墳は、この古墳群を構成する前方後円墳の一基として学術的 に貴重な古墳であるところから、昭和四十六年史跡に指定され、昭和四 十八、四十九年度に奈良県教育委員会が環境整備を実施し、前方部の復 元や周濠の一部復元的地上表示を行った。 平成三年三月 奈良県教育委員会 |
八幡神社
祭神 天照皇大神 天照大御神見 八幡大明神 誉田別命 春日大明神 天児屋根 |
猫塚古墳
鏡玉神社
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