山の辺の道 散策ガイド | 飛鳥 散策ガイド |
墳丘 全長80m、後円部直径60mの前方後円墳。 後円部には段築がある(少なくとも2段築成) 墳丘斜面には葺石があり、テラス面にはバラスが敷かれている。葺石は厚い裏込めがあり、 構造や形状が中山大塚古墳の葺石に酷似する。 古墳の主人を葬った主体部は、後円部中央に設けられた「石囲い木槨」である。「石囲い木槨」 は、わが国で初めて確認された特殊な構造の埋葬施設であり、木材でつくった「木槨」の周囲に 河原の石を積み上げて「石囲い」を作るという、二重構造を持つ。さらに、「石囲い」の上部は木材 で天井とし、その上に大規模な積石を施している。「石囲い」部分は、内法で長さ約7m、幅約2.7m であり、高さは現状で約1.1m、本来の高さは1.5m程度と考えられる。「石囲い木槨」の内部には、 長さ約5mのコウヤマキ製の長大な刳抜式木棺を納めていた。この古墳の主人の遺骸は、木の棺、 木の部屋、石の部屋によって幾重にも厳重に包み込まれていたのである。埋葬施設の上部には、 石を積んだ長方形の壇があったと推定され、このまわりにはさまざまな文様で飾られた二重口緑壷 が、ほぼ一定の間隔で長方形に並べられていた。 |
桜井市遺跡解説パンフレット②より |
石囲い木槨(上が北) |
日本最古の古墳とされるホケノ山古墳であるが、 徳山県鳴門市の萩原墳墓群2号墓がその原型とされる。 同様のものが岡山県倉敷市の盾築(たてつき)墳丘墓にもある。 棺を納めた小部屋「木槨(もっかく)」を石積みで囲む竪穴式の 構造が似ている。 |
後円部中央には「石囲い木槨」と呼ばれる木材で造られた槨 と、その周囲に多量の河原石を積み上げて石で囲う二重構造を 持った埋葬施設が確認されました。木槨の中には舟形木棺が置 かれていたと推測されています。このような埋葬施設は珍しく、 岡山県·香川県などに多くの類例が知られている。 |
ホケノ山古墳では水をたたえるような周濠は確認されていませんが、 古墳を東側の尾根から切り離すために掘削された周濠状遺構が確認され ています。ここには縁石で周濠状遺構の肩のラインを示しています。 周濠状遺構は墳丘の東側と北側の調査区で確認されており、幅は狭い 所で十.五m、広い所では十七.五mありました。 過去の調査の中で最 も西側に設定された第一次調査の第一トレンチからは少量の加工木とと もに、数多くの土器片が出土し、これらは古墳の築造時期を推定する手 掛かりとなっています。 周濠状遺構の平面形態は後円部側では墳丘に沿って丸く廻っていまし たが、前方部側では一部でしか確認されず、はっきりとした形は解って いないため、ここでは前方部に沿って外へと開いていく案に基づいてそ の形を復元しています。 桜井教育委員会 |
前方部東斜面検出の埋葬施設 |
前方部の木棺墓と土器 木棺には大型複合口縁壷や穴が開けられた広口壷が伴っていました。また木棺内には水銀朱が 撒かれていました。一旦覆われた葺石を取り外して埋葬していることや、土器の年代観から石 囲い木槨よりもやや新しい3世紀末頃(布留0式期)に埋葬されたと考えられている。 |
埋葬施設は、木槨と石槨からなる内外二重構造の槨に木棺を納めたものであった。 槨:棺を収納し、保護保護するための埋葬用施設のことをいう。 |
横穴式石室と家形石棺 石囲い木槨の西側から、墳丘を再利用して造られた6世紀末頃の横穴式石室が検出された。石囲い木槨が造られてから約300年後のことである。石室内には凝灰岩製家形石棺が置かれ ていた。石囲い木槨を避けて築かれており、墳丘再利用という珍しい特徴を持つことから、 ホケノ山古墳に対して何らかの「ゆかり」を主張する人物が葬られたのではないかと考えられ ている。 |
巻向遺跡には箸墓古墳など古墳時代初め頃に築造された前方後円墳が点在しており、前方後円 墳発祥の地と考えられている。ホケノ山古墳はその中でも全体像が判明している唯一の古墳で す。発掘調査により埋葬施設の詳細が明らかになり多量の副葬品が出土したほか、段築と葺石をも つこともわかっており、日本における古墳が出現する過程を考える上で貴重な事例である。 |
2009-5-29朝日新聞より | 墳丘頂上から見た三輪山 |
ホケノ山古墳の周囲には纏向遺跡が広がっている。纏向遺跡は、東西約2km、 |
ホケノ山古墳(手前)と箸墓古墳 |
ホケノ山古墳を築く労働力は延べ4万5千人と言われているが、箸墓古墳は135万人とケタの違う労働力を要した。 |
崇神天皇の皇女である豊鋤入姫命の陵墓と伝わる。 |
三角縁神獣鏡の副葬が始まる前の時代の古墳、または、弥生墳丘墓。 |
古墳 | 中平銘鉄刀と七支刀 | ホケノ山古墳 |
巨大古墳の謎 | 大嘗祭儀式 | 古墳時代 |
写真右端はホケノ山古墳 |